70年ぶりの甲子園

2009-07-31 23:58:49


みなさん「高校野球」って興味ありますか?
昨日、70年ぶりに甲子園出場を決めた学校があります。
私の母校ではないのですが、母校の大学の高等部で、高校と大学の校歌が同じであり、
勝てば「空の翼」なる校歌が聞けるため、人ごとでなく応援しておりました。

しかし、70年ってすごいなあって思います。
70年前って、戦前の話。かつて甲子園出場を決めていたのに「米騒動」で大会中止になったことがあったそうで、当時は「「米騒動」をバネに」なんて、頑張ってた頃もあったそうです。

満員のスタンドには、お見かけするに、60、70歳、いやそれ以上でないかと思われる方々がたくさんいらしゃいました。

私でさえ、「空の翼」を聞いただけで、20年程前の事が、昨日のことのように思い出されちゃいます。
それが、50年、60年・・・でも同じようによみがえるのでしょうか?

人生、そして人生が受け継がれることで生まれる伝統。
なんか、「高校野球」で時代を超えて世代間が結ばれる感じがして、そしてそれが校歌で一つになる感じがして、なんか感動でした。

それぞれの伝統や歴史について世代間で繋いでいく機会って、もっとあってもいいんじゃないかなあ、って思います。

それは、学校でも職場でも、親族、家族でも

このようなきっかけ作りの空間を色々な所に作っていきたいなあって思うのです。

ちなみに私も昔は野球小僧で甲子園への憧れは相当なもんでした。
だから今でも甲子園に出場する人に対し、純粋に羨ましい、悔しいって思ってしまいます。

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遺言と不動産

2009-07-28 23:57:24


今日は遺言と不動産の名義のお話です~

不動産を所有している方で、

 ① 事実上夫婦だが、籍を入れていない方
 ② 再婚していて、先妻との間に子供がいる方

 遺言書の必要度 「特A] 級です。 
 遺言書を作成しておく義務があると言っていい程です。

 遺言書がないと・・・、
 ①の場合、連れ合いの方の名義にすることができなくなります。
 ②の場合、先妻との間の子供の承諾なしに、今の奥さん又はその子供さんの名義にすることができません。

また、不動産をお持ちの方で、
 ③ 結婚しているが子どもがいない方
 ④ 子ども間の兄弟仲が悪い場合
 ⑤ 相続人の中に意思表示が困難な方がいる場合

 遺言必要度 「A」 級です。 この場合でも遺言書はあった方がいいです。

 遺言書がないと・・・、
 ③の場合、結婚相手の名義にするのに、亡くなった方の親や兄弟の承諾が必要になります。
 ④の場合、仲の悪い兄弟の承諾なしに、一方に名義を取得させることができません。
 ⑤の場合、後見人の選任を家庭裁判所に申立てないと名義の取得ができません。

さらに上記①~⑤までに該当しない方でも、不動産をお持ちの方は、

 遺言書必要度 「B」 級です。

 遺言書があれば、他の相続人に対し、遺産分割協議書に実印の押印や印鑑証明書を取ってもら うようにお願いをする必要なく不動産の名義移転の登記をすことができます。
 たとえ、相続人の仲が良くても、なかなか気を使ってしまうものです。

そもそも不動産は分割しにくいもので、共有は好ましい状況ではなく、相続人の内、誰かの名義にする必要があります。
遺言書があれば、その手続がかなりスムーズに行うことができ、相続人の負担はかなり小さくなります。

以上、遺言と不動産名義についてでした~

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高齢者と働く才能

2009-07-27 23:29:01


この週末、ある会合で横浜へ行ってきました。
その会合で、麻生総理のお話を生で聞く機会を得ました。
時期が時期なだけに・・・、
私の座席の目の前に並ぶ無数のテレビカメラが、麻生総理の発言の中から今日の記事ネタを逃さないように鬼気迫る雰囲気に感じました。

そして・・・、お話の中で、
「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がないと思ってください。働くことに、絶対の能力がある。80歳過ぎて遊びを覚えても遅い。働ける才能をもっと使い、その人たちが働けば、その人たちは納税者になる。」

とのご発言がありました。

この発言が、その日の夕方以降の各テレビ等の大ネタになり、ある意味、テレビの話題のネタになった発言を生で聞けて、田舎者の発想として少し得した気分になりました。

ちなみにある会合とは年齢上限が40歳までの若手経済人の会合であり、麻生総理はその大先輩であられるため、「上から口調」はその場では、自然に聞ける状況ではありました。

「高齢者をいかに使うか」「その人たちは納税者になる」は、もう少し表現が違えばなあと思いましたが、「働くことしか才能がない」については、私個人的には、悪い印象を持ちませんでした。
確かに「若者よりも働く才能がまだまだある」的な表現だったならば無難だったかもしれません。
しかし、総理自身も高齢者側の立場であることを前提にして、若者に対し「俺たちは働くことしか能がねえんだよ」的な発言は悪くないんじゃないかなあ。

なぜなら、私自身が、将来60歳、70歳になった時に「働くことしか才能がない」って人に言われたい、自ら言えるような人生を過ごしたいって思うからです。

「働く」「働ける」ってことは「誰かの役に立つ」「社会に貢献している」ってこと。
「その才能がある」ってことは、「誰かの、社会の役に立つ才能がある」ってこと。

人間って「誰かの、何かの役に立っている」って思えるからこそ生きていける、なんて思うのです。

そして実際、いわゆる高齢者と呼ばれる方々の仕事に対するバイタリティや好奇心には敵わないなあ、と思うことが多々あります。
「この人、仕事辞めたらそのまま死んじゃうんじゃないか」なんて言われている現役バリバリの大先輩が私の周りにもたくさんおられます。

大人は、やはり「働くことしか才能がない」が格好いいなあって思うのです。

ちなみに子どもは、「遊ぶことしか能がない」が本当はいいなあ、って思います。
なかなかそんな子どもも少なくなってきてますが。

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石と遺言

2009-07-24 09:32:09


昨日、相続登記のご依頼を受けて、あるお宅を訪問しました。
旦那さんが亡くなったため、「遺産分割協議」という奥さんと子供さん全員の協議で、不動産の名義を奥さんにすることになりました。

ご自宅の玄関を開けると玄関先や部屋中に、たくさんの石、石、石。
しかも大中小。色とりどり。

亡くなられた旦那さんの趣味が「石収集」だったそうです。
生前、日本各地の珍しい石の取れそうな山奥の河原に出かけては、珍しい石を採取しに行っていたそうな。
時にはかなり危険な場所にも行っていたようで、たまに付いて行かされる奥さんにとっては、かなり厄介な趣味であったそうです。

採取された石は「長野県○○村△川河原」等記載された木箱の上に鎮座しています。
結構、お洒落な感じなものや神秘的な感じのものあり、良いもんだなあ、と思えるのですが、
なにせ、その数の多いこと。

奥さんも思い出に浸りながらも、この石をどうするかが実は悩みの種だそうです。
捨てるわけにはいかず、旦那さんの趣味友達に譲ったり、古美術商を呼んで買い取ってもらったり、と亡き夫の遺志を想像しながら、悪戦苦闘されているそうです。

これはこれで、故人を偲びながらの生活で、悩みと言いながらも、悪くない作業なのかもしれません。

でも、もし「遺言書」があったら、と私なんかは思ってしまうのです・・・。

「遺言書」って、金持ち、というかまとまった財産を持っている人が書くものという誤解がまだまだあるようです。
「財産がないから遺言書なんて書く必要がない」

しかし、「財産が無い」と言っても本当にそうでしょうか?

たとえ金銭的な価値はなくても、その人の人生において何らかの財産は必ずあるはずです。
それは「大切なモノ」であったり「大切なヒト」であったり。
そうである以上、やはり誰もが「遺言書」って必要なんだと思います。

「大切なモノ」をどうするのか? 「大切なヒト」にどう託すのか?

旦那さんの場合、生前に奥さんに、喧嘩した時に「石捨てるわよ」なんて言われると
「この石はかなりの値打ちもんや」「捨てられん」とよく言っていたようで、
先の古美術商との値段交渉はかなり難航しているようです。

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遺言って

2009-07-23 00:24:29



さて、早速ですが、
「遺言」って聞いてどのようなイメージを持たれるでしょうか?
少しネガティブなイメージでしょうか・・。かなりネガティブ、かな・・・
似たような言葉に「遺書」なんてものもありますからね。

確かに「遺言」の効力は、それを作った方が亡くなった時に初めて発生するものです。
そのように考えると、「遺言」とは常に「死」を意識したものとのイメージを持ってしまいます。

そう考えると「遺言」なんて、、、

よっぽどの資産家か複雑な家庭状況を抱える人以外なかなか作成しにくい、というか作成する気にならない、っていう感じですかね。

しかしながら、「遺言」を「死」のためでなく「生きる」ためのものと考えることはできないでしょうか?

例えば、、これまで、
「自分史」や「大切な人へのメッせージや手紙」「思い出アルバム」などを作成したいと思ったことはありませんか?
何かの区切りの時(例えば、子どものご結婚・孫のご誕生・還暦・定年など)に、それまでの人生を振り返り、これからの人生を充実して「生きる」ために自分の足跡を確認したり、大切な方へ何らかの想いや感謝の気持を伝えたい、と考えた事ってありませんか?

「遺言」をそのような発想で考えてみることはできないでしょうか?
「遺言(ゆいごん)」は「遺書(いしょ)」ではありません。
「遺言」は生きるためのものであるべきなのです。

私は、「遺言」は「生きる」ためのものとして、誰もが書くべきものと思っています。
また、定期的に作り直していくべきものと考えています。なぜならその人の「想い」や「大切なもの」は常に変わっていくものだから。

本日は46年振りの皆既日食だったそうな・・・。
「日食」の日は新たなスタートを踏み出すのにいい日だそうです。
こんな日こそ「遺言」を作ってみるのもいいかもしれません。

毎年「遺言の日」なんてのもあっていいのではないかなあ、なんて思っています。

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