遺言の日

2009-08-16 19:18:55



今日はお盆休みの最終日。
私は、明日からの仕事に備え、事務所に出てみました。
この時期の大阪本町のオフィス街、こわいくらい静かです。(あたりまえですが・・)

私は、休日のオフィス街の落ち着きが気に入っております。
なんか得した気分になります。

皆様はお盆休み、いかがお過ごしでしたでしょうか?
久しぶりに、家族、親戚、または旧友とお会いになられましたでしょうか?


唐突ですが、
私は、こんな時期に「遺言の日」なんてあってもいいのではないかなあ、と思っています。

確か、銀行が11月15日(いいいごんのひ)を、弁護士会が4月15日(よいいごんのひ)を
「遺言の日」としてたと思いますが、できれば、「遺言の日」は、皆が集まるこのような時期に設定してほしいと思っております。

で、なぜ「遺言の日」か?
「遺言書」って、人生の最期が見えたときに、覚悟を決めて作成するようなものではない、と私は思っています。
例えば、子供や孫が生まれたり、不動産を取得したとき等、何かのきっかけの際に、人生の確認の意味で作成してみるものではないかなあと思ったりします。

自筆証書遺言など、「遺言書」は法律の要件さえ満たせば、誰でも簡単に作成できるものです。

反面、内容面で完璧に作成することはかなり難しいものでもあります。
なぜなら、その人の「財産状況」や「人間関係」そしてその人の「想い」は常に変化していくものですし、未来は完璧に予測できるものではないからです。

だからこそ、1年に1回、皆さんが集まる日に、「遺言の日」を設け、その時その時に適した遺言書を作成し、皆さんに伝える場、そして聞く場があってもいいんじゃないかなぁ、と思います。
世代間のコミュニケーションの手段にもなりうるんじゃないかと・・。
(ちなみに遺言書は何度でも書き直しができます。)


山城新伍さんが亡くなられる際、「別れた元の奥さんと娘さんに訃報を知らせるな」と遺した、との記事がありました。
寂しい感じがしますが、
最期の言葉が確かにそうであったとしても、この言葉が本人の「真の想い」であったとは限らないように思います。
この言葉への過程に、複雑な想いがあったにちがいありません。
その「過程」にこそ「真の想い」があったはずです。

「遺言書(ゆいごんしょ)」は「いごん」ではなく、「最期の言葉」を書くべきものではなく、
その時その時の「人生の過程」を表現していくものであるべき、と考えています。

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